登りやすく地元に愛された今でも自然が残る山 『三十三間山』

福井県若狭と滋賀県高島にまたがる標高842mの山
京都の三十三間堂の棟木をこの山から切り出した由来で、
現在は登山ルートがしっかりと整備され登りやすく
特に山頂尾根は大草原の光景が広がるようです。

登りやすく地元に愛された今でも自然が残る山 『三十三間山』
目次

登山ログ

YAMAP https://yamap.com/activities/41365703

登山口情報

登りやすく地元に愛された今でも自然が残る山 『三十三間山』

登山口は綺麗に整備されていて大きく看板で案内もあります。

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駐車場は20台ぐらいは停めれるスペースがあります。
来た時は登山とは関係のない車が2台、7時前では私だけの状態でしたが、
下山時は結構な台数が停まっていて賑わっていました。

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また少し歩いた所には10台くらいは停めれる大きな駐車場があります。
こちらには登山ポストもありました。

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登山口には大きなトイレもあります。かなり綺麗なトイレでした。

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整備協力金という名目で募金箱があったので人数分を入れておきました。

勝手に登山指数

登山道の整備度★★★★
山頂からの絶景度★★★★
登山中の絶景度★★★
登山客の多さ★★★
登山道の高所・難所感(高さを感じるような場所)
鎖場や岩場など
登山道の静けさ(街の音など)★★★★★
高山植物や花★★
熊や鹿など動物の気配熊の情報が多数あります。

登山日記

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たくさんの看板が設置されています。日付は本日になっていて、
ここから整備されているのが良く分かります。

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獣避け柵が設置されていて左側の扉が開閉可能なので入っていきます。

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しばらくは林道が続きます。美しい杉林な場所で気持ちよかったです。

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風神の滝と呼ばれる滝があります。小さい滝です。
林道から10mほど離れるのですが、ここに来なくても登山はできます。

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沢沿いの道は大きく、橋を渡るまではウォーキングといった感じです。

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この橋を渡って山の斜面を登っていきます。少し迷いやすい場面ですが、ロープなどがあり
分かりやすく整備されています。

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支流尾根に向かって斜面を斜めに登っていきます。

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ここから尾根歩き、景色は変わって自然樹木な景色になってきました。
ここからほぼ休みなく登り続けます。

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ガスが出てきました。結構な登りで急登まではいかないですが、こんな登りが続きます。

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ちょっといっぷくしませんか。と有難い看板。
しっかりと休憩しました。

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登り続けると夫婦松という木がありました。ここでも少し休憩。

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平坦な箇所はほぼなくて登りっぱなしな斜面です。

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風神と書かれた場所までやってきました。昔に村に疫病が流行った時に、行脚中の僧に
村にあった石塔を山中に祀れとのお告げがあったそうで、ここに祀ったそうです。
1832年ごろに建立されたそうで、「国家安全 悪風退散」と書かれた石碑があるそうですが、
この時は見つけれませんでした。

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いよいよ山頂へと続く主尾根に出てきました。

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この日は残念ながらこんな景色でした。晴れていれば美しい稜線、山頂まで見渡せる光景が
広がっているそうです。

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こういう日もあるから山は面白い。と言い聞かせながらガスの風景を楽しんでいます。

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しばらく草原を歩くと山頂付近一帯は樹林帯となっていました。また木の中に入っていきます。

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こちらが山頂となります。ただ平坦で広い樹林帯という感じで、
シートを広げればどこでも休憩できそうです。

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看板は破壊された跡が残り獣の毛も挟まっていました。熊でしょうか。
注意が必要です。山頂からの下山は注意が必要で広いので方角を間違えそうです。
リボンや地図をしっかりと確認して尾根間違いをせずに帰る必要があります。

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無事に下山してきました。古くはこの麓の集落の名前から「倉見岳」や
天満神社の背後にある山で「天神山」とも呼ばれてたそうです。
以降は京都の三十三間堂に木材を切り出したとして現在の山の名前になっているそうです。
こうやって登った山の歴史を調べて見ると発見がいくつもあるのが面白いです。

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